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俳ジャッ句     

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美子の告白  1

美子の告白  



 気まぐれにに物語などすなり…

 というわけで、今日は趣向をかえて小説風に話をすすめてみようと

 思う。

       告白もよし若狭の海のかげろへば   美子

 これは私の友人の句である。

 彼女は私の俳句仲間であるが、私に打ち明け話をしてくれた。

 ちなみに彼女は私と同世代の開業医夫人である。





       美子の告白  



 私は結婚して30数年になりますけれど、夫婦とは名ばかりの

 仮面夫婦ですの。

 いまさら離婚などと思うのもおっくうなくらいに冷め切って

 おります。

 かれこれもう10数年前になりますかしら。

 ある日突然、谷和夫から電話がありました。

 それは、20年以上もなんの音沙汰もなかったものでしたから

 ただもうびっくりいたしましたわ。

 朝、夫を診療所に送り出してまもなくのことで、また娘の理子から

 おこづかいの催促の電話だとばかり思っておりましたところが

 「僕です」

 というひと言を聞いただけで、相手が誰なのかわかってしまいました。

 谷和夫の声を忘れてはいない自分にとまどってしまいました。

 ふだんはすっかり忘れきっておりましたのに。


別れの言葉が泣かせました。

 「美子ちゃんがもしも未婚の母になることが

 あったら、僕が父親になってあげるから。

 誰の子かわからなくてもいいから」

 彼は声をおとしてそう言ったのでした。

 もしも、あのとき私が振り向いてさえいたなら

 もっと別の人生が始まっていたのかも

 しれません。

 けれども私はけっして振り向こうとはせず

 彼のもとを去ったのでした。

「あれから、もう20年もたっている」

 その口調も声音も昔のままだったのです。

 「お変わりになってないのね」

 思わずそう言ってしまい不覚にも涙がこみあげて

 きました。

 「いや、変わったよ、もうくたびれたおっさんだ。

 君はどうなの? 

 今もきれいなんだろうね」

 「私だってもうおばさんだわ」

 「そんなはずはないと思うよ。

 なんてったって君は僕らのマドンナだったからね」

 そう言われて悪い気はしませんわよ。



「お口がお上手ですこと」

 「いや、お世辞なんて言うたちじゃあないよ、僕は。

 それができるくらいなら、今みたいにはなってない」

 一体今はどうなっているのかとひっかかりましたが、

  きくことははばかられました。

 どこかひっかかっていながらも、学生時代の思い出で

 胸がいっぱいになり、ついつい谷に気をゆるしてしまったのでした。

 けれども、今にして思えば、それが間違いのもとだったのです。

 その時はそうとは夢にも思わず、ただただ昔の自分を愛してくれた

 谷がなつかしかったのです。

 あのころのひたむきな谷がなつかしかったのです。

 それも私の身勝手な思い込みでした。

 「椿山荘をおぼえてるかい。今、椿が見ごろだよ」



「椿山荘ね、なつかしいわ」

 学生時代に谷とよくその界隈を歩いたものです。

 そのころの思い出がどおっと私の胸に満ちあふれてきました。

 「昨日行ってきたんだ、なつかしくてね」

 「そう、私も行ってみたいわ」

 「でしょ? 僕だって行ってみたかったよ、もう一度

 君と一緒にね」

 「そりゃあ、行ってみたいわ。

 でも、私はもう昔の私ではないんですもの」

 「ご亭主がいるから?」

 「ええ、まあ」

 「僕にだって女房はる、一応はね」

 一応は、を強調しているのです。

 私には谷の言う意味がすぐに飲み込めました。

 おそらく谷は妻とはうまくいってはいないのでしょう。

 ちょうど私が夫とは仮面夫婦であるように。



そんな電話があってからというもの私はなんとなくうきうきする

 ようになってきました。

 もう一度椿山荘に、それも谷と一緒に行ってみたいと、

 ほのかに思うようになったのです。

 そして谷からの電話を心ひそかに待つように

 なったのです。

 電話のベルがなるたびにどきりとしたのです。

 もしやと思う自分に驚きました。

 かつて谷に別れをつげたのは、私のほうなのに

 なんでいまさら未練があるというのでしょうか。

 つくづく自分の虫のよさを思い知らされました。

 夫は夕飯に晩酌して9時をすぎると早々に床につくのが常

 でしたから、谷は11時ごろきまって電話をしてくるのでした。



谷からの電話がはじめのうちは月に2度ほどだったのが、

 日に1回はかかってくるようになってきました。

 私はそれを心待ちするようになっていたのです。

 6月にはいってからのことです。

 朝、夫を送りだしてまもなく宅急便が届きました。

 あけてみると谷からのピンクのバラの花束だったのです。

 うっかり忘れておりましたが、なんとその日は私の誕生日

 だったのです。

 ここ何年も自分の誕生日すら忘れていたくらいで、ましてや

 ひとからプレゼントされるなんてことは絶えてなかったこと

 でした。

 正直にいって、まるで子供のように小躍りしてしまいました。

 さっそくリビングに活けました。

 それも長年大事にしまっておいたバカラの花瓶を出してきて

 活けたのでした。


「フルールをおぼえてているかい?

 あそこのマスターが君のことをおぼえているって

 言ってたよ、モヂリアニの女みたいなひとだった、ってさ」

 フルールとは本郷にあった喫茶店で当時よく行った店

 でした。

 モヂリアニの女に似ていたなどと言われれば悪い気がする

 はずがないではありませんか。

 「髭のマスターだったわね」

 「今だって髭づらだよ、三日にあけずに通っているからね」

 谷が大学卒業まもなく友人と共同出資して出版社を立ち上げた

 ものの3年もたたないうちに倒産したということはすでに谷自身から

 きいておりました。

 それ以来谷はフリーのライターをしていたのです。



谷とはじめて出会ったときのことを思い出しました。

 あれは、1969年、東大の安田講堂事件の数ヶ月後のことでした。

 本郷の喫茶店で先輩の救対(東大闘争救援対策部)の

 幹事から谷を紹介されたのでした。

 東大のキャンパスは闘争の名残りが色濃くて、それは殺伐と

 していて一人歩きは危険な状態だったのです。

 谷はいくらか頼りなげに見えました。

 なぜか小脇に江戸切絵図を大事そうに抱えていたのが

 印象的でした。

 いかにもまじめな東大生といった感じでした。

 「闘争がこうも長引くと、くたびれちゃいますねえ」

 と、彼は小声で言ったように記憶しておりますが。

 それが、私たちの青春だったのです。

 なぜか東大闘争の記憶はモノクロームなのです。

 それくらいあの時代は、暗かったのかもしれません。



バラの花束を皮切りに谷からのプレゼント攻勢が始まった

 のです。

 ほとんど一日おきに宅急便が届くようになりました。

 たとえば、それは、かつて二人で一緒に行ったことのある

 ケーキ屋の、しかも私がおいしいと言ったシュークリームで

 あったり、また、あるときは二人のデートコースの途中にある

 和菓子屋の羊かんであったり、手を変え品を変えて贈って

 くるのでした。

 そのまめなことといったら、もう驚きです。

 ある日いつものように宅急便が届きました。

 中をあけると、それはオルゴールでした。

 木彫りのふたをあけると、チャイコフスキーの

 ピアノ三重奏が流れてくるではありませんか。

 それは私が大好きな曲でした。

 フルールでもよくリクエストしたものでした。



オルゴールからチャイコフスキーのピアノ3重奏が流れて

 きたとき、私はおもわず涙ぐんでしまったほどでした。

 その日から私はすっかり学生時代にもどったような、

 夢見るような気分で浮かれるようになったのです。

 これまでの20年以上の味気ない、空疎な結婚生活から

 逃避したかっただけなのに、虚しい日常から解き放たれ

 つつあると錯覚してしまったのでした。

  9月の下旬にとうとう私は谷と逢うことになったのです。

 大阪の医大に通っている娘のマンションにようすを見に行く

 ついでといってはなんですが、京都に寄り道して谷と落ち合う

 ことにしました。

 一度逢ったら最後、もうなるようにしかならないのは、

 わかっておりましたが、それでも谷の強引さにひきずられて

 しまったのです。


 夫には京都で句会があるとだけ言い置いて家を出ました。

 お互いに相手がどうしようが聞くことさえも億劫だという

 ほどに夫婦仲が冷え切っておりましたから、夫も生返事で

 いたのです。

 大阪の娘のマンションから京都までは小一時間かかり、

 東山の料亭に着いたのは夕方になっておりました。

 すでに谷は席についていました。

 いくらかばつの悪そうな顔をしながらも、

 「疲れた顔をしてるじゃない」

 と話しかけてきました。

 「あら、お婆さんになったっておっしゃりたいんでしょ」

 「冗談でしょ、君は昔以上にきれいだよ」

 そう言いながら、早くも私を抱き寄せようとします。

 その手をさりげなく払いのけて、

 「乾杯といきましょう、何十年ぶりかしらね」

 とりあえず乾杯ということになりました。

 それから、さしつ、さされつ、酌み交わし合い、したたかに

 酔ったのでした。

 あとは次の間に用意されている夜具に倒れこみました。

 ふと我に還った時は、谷に手枕をされておりました。

 枕もとの明かり障子から、やわらかな朝の日ざしが

 洩れて来ておりました。





 





 

 











 
























 











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